「できる」と「教える」の間で揺れる人たちへ

仕事や日常生活の中で、誰かを「指導する」立場になったとき、私たちはしばしば言葉にできない葛藤を抱えます。
自分ができることを教える「難しさ」、そして自分自身も完璧にはできていないことを教えなければならない「後ろめたさ」。

今回は、そんな「教えること」にまつわる心の機微について、少し紐解いてみたいと思います。

「普通」という名の高いハードル

私たちはつい、自分の視点で世界を見てしまいがちです。
自分がそれなりの努力で身につけたことは、他人も同じように頑張れば「できて当たり前」だと、無意識のうちに思い込んでしまうのです。

例えば、あなたが歯科衛生士としてスケーリングをこなせるようになった経験や、難関の大学を卒業した経験を持っているとします。
すると「自分ができたのだから、努力すればこれくらい誰でもできるはずだ」という基準が、いつの間にか自分の中にできあがっています。

けれど、人はそれぞれ違う「能力」や「ものさし」を持って生きています。
ピアノや書道の先生が、自分の子どもにも「弾けて当然」「書けて当然」と期待をかけてしまうように、自分の「普通」を相手に押し付けると、そこには必ずストレスや摩擦が生まれます。

「なんでできないの?」というイライラは、あなたがこれまで積み重ねてきた努力の証でもあります。
けれど相手には相手のペースがあり、自分と同じ景色が見えているわけではありません。
そのことを、まずは静かに受け止めることから始めたいものです。

完璧主義という呪縛を解く

一方で、「自分も完璧じゃないのに、指導するなんておこがましい」と感じる方も少なくないでしょう。
しかし、指導者や監督が、必ずしも現役時代にナンバーワンの成績を残していたとは限りません。
もし学校の先生が「自分が完璧になるまで生徒には何も教えない」としたら、教育というシステムはそもそも機能しなくなってしまいます。

例えば、新卒のドクターに、経験豊富な歯科助手がアドバイスをする場面もあるでしょう。
たとえ自分がその治療を直接行ったことがなくても、あるいは自分自身が料理を一切しなくても、レシピのコツを人に伝えられることがあるように、経験の有無を超えて伝えられる大切なことは必ずあります。

「完璧ではない自分」を隠す必要はありません。
大切なのは、これまでの経験を活かして、今の自分にできる限りのことを誠実に伝えることです。
あなたがベテランでなくても、最初の一歩を踏み出そうとしている相手にとって、その言葉は貴重な道しるべになります。

最後に

指導とは、相手を型にはめることではありません。相手の可能性を信じ、不器用ながらも共に歩もうとする姿勢そのものです。
自分ができることに慢心せず、できないことに卑屈にならず、ただ目の前の相手に寄り添うこと。

あなたが今日、誰かにかけたその一言が、いつかその人の大きな成長につながる種になるかもしれません。
できることを指導するのも、できないことを指導するのも、その根っこにあるのはどちらも「利他の気持ち」です。だからこそ尊いのだと思います。

利他の気持ちがあるからこそ、私たちは思い切って指導でき、そして自分自身も成長できるのです。
完璧でない私たちが、それでも誰かのために知恵を絞り、悩む。その姿こそが、何よりも雄弁な「教育」なのかもしれません。

今日一日、頑張ったあなた自身のことも、まずは労ってあげてくださいね。

 

▼他の記事一覧はこちら

 

  • B!