遠くの神様より、隣のあの人へ。

人生には、どうしても自分の力だけではどうにもならない、暗いトンネルの中を歩いているような時期があります。
経営がうまくいかなかったり、大切な仲間が離れていったり、大病にかかったり、将来への不安が波のように押し寄せてきたり……。
そんなとき、私たちはふと「目に見えない大きな存在」にすがりたくなります。

先日、大学時代の同級生たちと久しぶりに顔を合わせる機会がありました。
還暦を過ぎた彼らとの会話で一番盛り上がったのは、意外にも「伊勢神宮」の話でした。

かつてはそんなスピリチュアルなことを言うタイプではなかった友人が、「毎月欠かさずお参りに行っている」「伊勢神宮は空気やオーラが違う」と熱心に伊勢神宮の魅力について語る姿を見て、人は年齢を重ね、多くの荒波を越えてくる中で、自然と「生かされていることへの感謝」に辿り着くものなのだと、深い感慨を覚えました。

実は私自身も、昨年は経営者として非常に苦しい時期を過ごしていました。
売上が落ち込み、信頼していたスタッフが去り、出口の見えない不安の中で、藁をも掴む思いで明治神宮へお祓いに行ったことがあります。
それから毎日、家で神棚に手を合わせるようになりました,。

こうした「祈り」の習慣は、散らかった心を整え、自分を取り巻く状況を客観視するための「心の安定所」のような役割を果たします。
実際、その後、経営状況も少しずつ好転し、素晴らしい新しいスタッフとの出会いにも恵まれ、今はかつての活気を取り戻しつつあります。

では、それは「お札のパワー」だったのでしょうか?
ここで、私はある一つの「気づき」を得ました。
それは、私たちが日常的に向き合っている「歯周病の予防」と、人生における「徳」や「運」の積み上げ方は、驚くほど似ているということです,。

どんなに名医と言われる歯医者に年に一、二回通って歯石を取ってもらっても、日々のブラッシングを疎かにしていれば、歯ぐきの健康は守れません。
それと同じように、年に一度だけ遠くの立派な神社へ行って手を合わせても、日々の暮らしの中で身近な人々を大切にせず、自分勝手な生き方をしていれば、人生の「健康状態」は改善しないのです。

伊勢神宮へ行くことを否定するわけではありません。
しかし、往復に何時間もかけて遠くの神様に感謝を伝えに行くエネルギーがあるのなら、まずはそのエネルギーを、「一番身近にいる家族や、毎日顔を合わせるスタッフ、そして支えてくれる友人や患者さんに注ぐべきではないか」そう思うのです。

「神様に感謝する前に、目の前の人に感謝するほうが、ずっと速効性があるんじゃない?」

そう友人に話したら、少し笑われてしまいました。
でも、これは真理だと思っています。

目に見えない神様が奇跡を起こしてくれるのを待つよりも、隣にいる人に「いつもありがとう」と伝え、誠実に接する。
その小さな「心のブラッシング」の積み重ねこそが、いざという時に自分を助けてくれる「徳」という名の免疫力になるのではないでしょうか。

かつて、空中浮遊や超能力を誇示する人々が注目を集めた時代がありました。
しかし、不思議な力で宙に浮く人よりも、毎日コツコツと土を耕し、種をまき、お米を作っている農家の方のほうが、よほど尊く、世の中に価値のある貢献をしています。

特別なこと、非日常的なことに救いを求めるのではなく、「当たり前のことを、当たり前に、感謝の気持ちを持って続けること
それこそが、私たちが目指すべき幸せな生き方であり、心理的な安定を手に入れる最短ルートなのだと確信しています。

もし今、あなたが何かに悩み、神頼みをしたい気持ちになっているのなら、一度立ち止まって、今日出会う「隣の人」の顔を見てください。
実は、隣の人が幸運の神様かもしれません。

その人に小さな感謝を伝えることは、遠くの聖地を訪れるのと同じくらい、あるいはそれ以上に、私たちの運命を好転させる力を持っているはずです。
神様にお願い事をするのではなく、日々の無事に感謝し、まずは自分の手の届く範囲の環境を良くしていく。
そんな「日常という名の参拝」の積み重ねが、結果的に大きな幸せを運んできてくれると信じたいです。

でも今度、先ほどの友人と伊勢神宮に参拝に行ってきます(笑)

 

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