安倍元首相の死について

安倍元首相の殺害のニュースを聞いたときは、大きな悲しみと大きな怒りを感じました。
私は安倍さんのリーダーシップが好きでした。
安倍さんに共感できたのは、第1次政権では、メンタルがやられて1年で退職したにもかかわらず、その失敗を活かして2次政権ではリーダーシップを発揮されたことで、どんな人も失敗から強くなっていくんだと学ばせていただきました。
安倍さんは、元々がスーパーマンのような方ではなく、繊細な人間が、失敗の経験によってどんどん強くなられていく姿には、多くの勇気をもらったものです。

今回の訃報を聞いて、平和と信じられていた日本でこんな事件が起こるショックと、安倍さんのような稀有な人材を失うことによる日本の損失を考えると、本当に大きなショックでした。
そしてしばらくは「何でこんなことに……」「本当に防ぐことはできなかったのか……」とか、怒りや悲しみの矛先を探すような気持ちが、自分の中で渦巻いていました。

安倍さんが亡くなられてすぐに、横浜銀蝿のリーダーが脳梗塞で安倍さんと同じ67歳で亡くなられたニュースを新聞で見つけました。
「2人とも同じ67歳なんだ!」という偶然を目にして、2人に対する感情が違う自分に気が付きました。
脳梗塞で亡くなられたのは、病気だからある意味、寿命とも受け止められますが、「他人に殺された安倍さんの寿命はもっと先だったはずだ!」と考えると、同じ67歳で亡くなられても周りの人間の受け止め方は違ってくるのだと感じていました。

「寿命」って何だろうと考えると、平均寿命を超えると一般的に「天寿を全うした」とみなされて死を受け入れやすいですが、平均寿命からかけ離れていたり、事故や事件など自分の意図ではない死に関しては、「天寿を全うした」とはみなされないで、その人の死を受け入れにくいです。

私の好きな考え方に、「人は生まれる前に、すべてのことを決めてこの世に舞い降りてくる」というスピリチュアルの考えがあります。
今世で、魂を成長さえるために、親も、環境も寿命さえも決めてから生まれてくるという考え方です。
俗にいう「宿命」です。
今世で起こる全ての事は、生まれる前に自分自身でシナリオを描いてこの世に生まれてくるという考え方です。

「運命」はめぐりあわせで変わりますが、「宿命」は生前から決まった出来事なので抗うことができません。

安倍さんの事件が「運命」だと考えれば、たまたまのめぐりあわせで、運悪く事件に巻き込まれたことになり、怒りや悲しみに暮れてしまいます。
しかし、もしも今回の事件が安倍さんの「宿命」だとすれば、安倍さん自身が自分で描いたシナリオであれば、67歳の、あの時点が安倍さんの寿命で、「天寿を全うした」ことになります。

人間は2度死ぬと言われています。
1度目の死は肉体の死で、2度目の死は自分のことを忘れ去られる死です。
今回の事件で、安倍さんのことは多くの人の記憶から離れなくなりました。
そして安倍さんの長年の夢だった憲法改正の気運が高まると思います。
安倍さんなら自分の命と引き換えてでも改憲を成し遂げたかったのではないかと思うと、今回のシナリオは、安倍さんが生まれる前から自分で考えたシナリオだとしても不思議ではない気もします。

いずれにしても、どこまでが「宿命」で、どこからが「運命」かは、科学的に証明することができない以上、自分の中で「どちらとして考える方が幸せなんだろう??」という選択になってきます。

「運命なのか宿命なのか?」は、毎日、目の前に起こっている出来事を「偶然」と見過ごすのか、「必然」と思って向き合うのかの違いと似ているような気がします。
「偶然」には心が動きませんが、「必然」と思えば、「この出来事にはどんな意味があるのだろう?この出来事から何を学べということなのか?」と前向きに考えられるような気がします。

私の中では、安倍さんは、今回の事件で、坂本龍馬や吉田松陰、ジョンレノンなどと同じように「伝説の人」になられたような気がしています。

安倍さんのご冥福をお祈りいたします。
合掌

 

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