当たり前と感謝のバランス

この歳になってくると、毎日感謝しながら生きていければ幸せな人生になることは頭では理解できるようになってきました。
しかし、感謝というのは左脳的に理屈でしていくことはできても、右脳的に感じ続けることはとても難しい行為です。

どんなことにでも感謝することが理想です。
・毎日3食、食べれること
・日本人に生まれていること
・健康に生きていること
・電気や水道が不便なく使えること
・電車や飛行機、車などの交通機関が使用できること
・仕事があること、給料をもらっていること
等々
数え上げればきりがないです。

上記のことが当たり前でない時代や国が存在しているのだから、そういうことにも感謝するべきだ!ということは左脳では理解できているし、そういう生き方をしたいとも思っています。
しかし現実には、どうしても上記のことを当たり前と感じてしまう自分がいます。
「上記のようなことに感謝しよう!」と意識しても、気づいたらいつの間にか当たり前と思っている自分に戻っています。

30代前半の時に、1か月入院生活をして退院できたときに、歩けること、1人でトイレに行けること、病院食以外の食べ物が食べれることなどいろんなことが新鮮で入院前に当たり前と思っていたことを1つ1つ感謝している自分がいて、1か月の入院で自分の心掛けが一変して、こういう気持ちで生きていければ自分は幸せになれると確信していましたが、時間の経過とともに、全てのことが当たり前に戻っていました。(笑)

人はつらい事でも時間とともに慣れてきて辛さが減ってくる傾向があります。
慣れるとか習慣化するということは、意識して動いていたことが少しづつ無意識化してくることだと思います。
辛かったことが慣れてきて辛さが減ってくることは歓迎できますが、感謝していたことが、慣れてきて感謝できなくなってくることはできれば避けたいものですが、慣れることのいいとこ取りはできないのでしょう。

「・毎日3食、食べれること」を当たり前でないようにするには、定期的に断食の日を作ったり、日々の食事の量を足りないぐらいに抑えればそうなれるのかな?
「・日本人に生まれていること」に感謝するには、海外生活を送ったり、海外の恵まれない子供たちに寄付したりしてしたら………とか
「・健康に生きていること」に感謝するには、病気になった時には感謝できるのだが……
等々、
今持っているものを一旦失わないとなかなか感謝の継続は難しいような気がします。

子供の時に、親が食事を作ってくれたり、掃除洗濯をしてくれたりいろんなことを親は当たり前のようにしてくれていましたが、子供の時にはそれらのことが当たり前だと感じていました。
しかし、親元を離れて1人暮らしをしたときに初めて、それらのことをしてもらえることに感謝するようになってきました。
また、加齢とともに老眼になったり体力の低下を感じると、若いころ当たり前に思えていたことがどんなに凄くてありがたい事かに気が付かされます。

キャンプに行ったりすることは、日常生活で当たり前にできていることを原始的な方法で不便を感じることで、日常生活のありがたさを感じるためにわざわざ不便な思いをしに山奥に行っているのかと思うことがあります。

無意識で生きているといろんなことが、慣れてきて当たり前になってきます。
かといって、意識しながら感謝しても感謝が長続きしないのが悩みです。
時々、「人の生きる目的は感謝できる人間になること」ではないかと感じることがあります。
成功者の多くが「感謝できる人間は、仕事もプライベートもうまくいく」ということをよく言われます。
そういう成功法則は、頭ではわかっていても、「でもどうすれば感謝できる人になれるの???」と質問したくなります。

仏教では「人生は苦の連続だ」と言われています。
思い通りにはならない人生において、痛い目にあったり、大切なものを失った時に初めて、それまでの恵まれていた状態を感謝できることの繰り返しになります。

出来れば痛い目には合いたくないし、何も失いたくはないですが、何気なく生きていたらすべてのことを「当たり前」に感じてしまう人間に対して、感謝の気持ちを思い出させるために、神様は一見不幸と思えるような出来事を人間に与える場合もあるのではないかと思う今日この頃です。

 

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