「妥協」ではなく「折り合いをつける」

自分が独身の時に「結婚は妥協」という言葉をよく耳にしていました。
その理由として「自分だって完璧な人間じゃないんだから、相手に完璧を求めることはおかしいでしょう!」という内容でした。
しかし、「結婚は妥協だよね?!」「自分が結婚したのは妥協したからだよ!」と言って、気分のいいパートナーはいないでしょう。
例え心の中では、自分は相手にとっての理想的な存在ではないし「妥協して結婚したのかな!?」ということが脳裏をかすめたとしても、それを口に出されたら私を含めほとんどの人は傷つくと思います。(笑)
実際に結婚する際に、「100%自分の理想の人と結婚していない人はみんな妥協した結婚である」と定義したら、ほとんどの人の結婚が「妥協した結婚」になるのではないでしょいうか?
現実として、100%自分の理想の人でなかったとしても「結婚は妥協」というと聞こえもよくないですし、何かしっくりこない感じがするのではないでしょうか?

そもそも結婚に限らず「人生は妥協の連続」ではないでしょうか?
自分の望むような家に生まれてきましたか?
自分の思うような容姿で生まれてきましたか?
自分の第1志望の大学や就職先に進学や就職をされましたか?
自分の望む給与を得ていますか?
自分の理想の車や家に乗ったり住んだりしていますか?
etc………

殆どのことが自分の理想と違う現実に対して「妥協した」とは考えないと思います。
私の中で「妥協」とは負のイメージがありますが、「折り合いをつける」というのはプラスのイメージがあります。
「妥協する」と聞くと「納得していないけど受け入れる」というニュアンスを感じますが
「折り合いをつける」というのは「納得したうえで受け入れる」という感じがしています。

人生には立場が違えば正しさが違ってきます。
お店側とお客側では物事の見え方が違いますし、経営者と従業員では絶対に交わらない考え方があります。
医療サイドと患者サイドでも考え方が違って、自分が施術するときの感じ方と自分が患者になった時の感じ方では正しさの基準や定義が変わってきます。
戦争はそれぞれの国の価値観で、自分の国が正しいと思って起こっている最悪の例だと思います。

お店にはお店の言い分があります。お客にはお客の言い分があります。
お互いにどうしても譲りたくない部分はあっても、どちらも譲らなければ平行線のままになります。
経営者と従業員もそれぞれの視点で対立することはありますが、お互いが譲らなければ、最悪、解雇や退職にもなりかねません。
お互いが妥協して納得しないままわだかまりが続くと、いつかはどちらかの不満が爆発する可能性もあります。

納得できなくて妥協するしかない場合もたくさんありますが、妥協の前に「折り合いをつける」努力をする必要があるのではないでしょうか?
「折り合いをつける」ための着地点を見つける努力をして、それでも前に進まない際は、最終手段として「妥協する」こともやむなしなのかと思います。

感覚的に「妥協する」というと、自分の主張が0~3で相手の主張が7~10のイメージで、「折り合いをつける」というと、自分の主張が4~6で相手の主張も6~4のイメージですが、最終的な判断基準は、自分の主張が通るか通らないかよりも「自分が納得できる」かどうかだと思います。

「妥協する」のではなく「折り合いをつける」生き方をしていくためには、いろんな視点から物事が見えるようになる「視野が広い人間になる」ための経験をしていくことが必要な気がします。

 

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