先日、子供の卒業式のためにカナダへ行く機会がありました。
普段の現場を離れ、異国の地に身を置くと、普段は意識もしない「自分が日本人であること」を強く意識し、日本人の姿を見かけるだけでどこか嬉しい気持ちになる自分に気づきました。
私たちは、日本にいるときには「日本人であること」を意識しません。
それは鳥が空気の存在を、魚が水の存在を意識しないのと同じです。
しかし、慣れ親しんだ場所を一歩離れたとき、自分のいる環境の存在に初めて気づかされます。
職場という場所も、これに似ているのかもしれません。
長く同じ場所にいると、その組織のルールや文化は「当たり前の空気」になり、良くも悪くも慣れていってしまうものです。
この慣れた環境の中で、私たちはつい「自分が一番大切」という、人間としての本能的な感情に支配されがちです。
ただいまワールドカップの真っただ中ですが、引退したトップアスリートたちが、現役時代の本音を語っているのを目にしました。
彼らは「自分がオリンピックに出ていないときは、日本代表を素直に応援できなかった」「ライバルが失敗すればいいと思っていた時期がある」と正直に明かしていました。
それを聞いて、私は「人間として当たり前の感情だな」と深く共感しました。
誰だって、「自分が一番可愛い」ものですし、自分が苦しいときに他人の成功を心から喜ぶのは、決して簡単なことではありません。
しかし、個人の「自分さえ良ければ」という思いだけで集まった集団は、どうしてもバラバラになってしまいます。
強くなっていくチームと、ダメになっていく組織の決定的な違いは、「チームあっての自分」という視点を持てるかどうかにあります。
かつて、アイドルグループAKB48の前田敦子さんが、「私のことは嫌いになっても、AKBのことは嫌いにならないでください」という有名な言葉を残しました。当時は衝撃的なフレーズとして注目されましたが、今振り返ると、これは非常に奥深い言葉です。
彼女は、自分という個人の評価以上に、自分を育んでくれた「場所(プラットフォーム)」を守ることの大切さを理解していたのでしょう。
そういう人だから、芸能界という厳しい世界で今も生き残っているのだと思います。
どれほど個人が輝いていても、それを支える組織や国という基盤がなくなってしまえば、自分自身も存立し得ないのです。
「情けは人のためならず」という言葉通り、誰かのために尽くすことは、巡り巡って自分に返ってきます。
うちの医院では、クレーム対応や掃除のような誰もが嫌がる仕事を、ベテランや上司が率先して行っています。
嫌なことを下に押し付けるのではなく、上が自ら動く。
そんな姿勢を見ていると、周りのスタッフも「この人のために、チームのために何かしたい」という気持ちが自然と芽生えてくるものです。
もちろん、こうした善意の循環は、挨拶をしてすぐに返ってくるように、すぐには結果が見えないかもしれません。
見返りがないことに不安を感じ、「損をしたくない」という気持ちがブレーキをかけることもあるでしょう。
しかし、「自分はどうありたいか」を決め、見返りを求めずに良い行動を続けること。その積み重ねが、組織の「雰囲気」を作り上げます。
病院のような場所であれば、その雰囲気は言葉にしなくても、必ず患者様に伝わります。
ギスギスした空気は不安を呼び、温かい空気は安心感を与え、良い循環を生み出していきます。
私たちの日常の生き方や考え方は、ふとした瞬間の言動に滲み出ます。
特別なときだけ良い顔をしようと思っても、普段から何を考えているかが、言葉や態度の端々に出てしまうのです。
もし今、あなたが人間関係やチームでの役割に悩んでいるのなら、少しだけ視点を高くして、「自分を包んでいる環境」に目を向けてみるのもいいかもしれません。
自分一人の得を追い求めるよりも、周りの誰かのために小さな手を差し伸べてみる。
その積み重ねこそが、巡り巡って、自分という大切な存在を一番に守ってくれる盾になるはずです。
ただいまサッカーのワールドカップで日本が活躍していますが、こういう世界的な大会があると、日本を応援する自分を顧みる時に「自分が日本人である」ことを意識し、日本を代表して頑張っている人の姿を見てチームプレーの大切さを実感してしまいます。

